「鳥栖のスズメは黒い」。 そんな時代があったという。
鹿児島本線と長崎線が交差する「鉄道の街」。
蒸気機関車がはき出す煙で、すすけた駅舎をねぐらとしたためだそうだ。
分割民営化まで国鉄の一大拠点だった鳥栖市は労働者の街だ。
そこで働く人たちの日々の疲れを癒したのが、この銘菓。
羽を精一杯ふくらませ、冬の寒さに耐えるスズメの姿を写して最中とした。
ただし、黒いのは中の餡だけだが。
「誕生したのは戦後間もなく。最中の種(皮)はお米が原料なのでスズメがよかろう。そんな発想です。」
と、創業一八八九年の製造元「水田屋」の三代目、水田哲夫さん(64)。
やや大きめのサイズ、たっぷり入った餡。
今どきのスマートなお菓子と比べると、素朴極まりないが、今でも店の看板商品だ。
つくり方は発売当初からほとんど変わらない。
厳選した北海道産の小豆に砂糖を加え、じっくり練りあげる。
出来上がった餡を種に詰める作業は、ほとんどの最中屋が機械を使うが、水田屋は今も手作業だ。
「実はうちも二十年ほど前、機械を買いましたけど、一ヶ月ほど使っただけで、やめました。
今も倉庫に眠っとります。」
理由は餡が隅々まで行き渡らないのと、機械の中を通る間に小豆特有の半透明色が白っぽくなり風味も落ちるため。
「餡の硬さや配合を変えればよいが、そういう妥協がいやで」
餡に栗を入れる、柚子風味にするといった今風の「変化球」も一切なしだ。
そうやって守ってきた味の主なファンは、やはり昔からのお客さん。
「時代の変化に合わせた新しい菓子づくりも大切ですが、こういう日本の味もしっかり守っていかないと」
工場をのぞくとベテランの女性がせっせと、餡を詰めていた 。
二人で多い日は三千個ほど作る。
試食した。
餡はぎっしりだが、甘さは思いのほか 、しつこくなく、むしろ奥ゆかしい。
なるほど、これが定番の魅力である。(鳥栖支局・ 北里晋)
【西日本新聞(夕刊)より抜粋】